旅先で出会ったユニークな車たち
コペンハーゲンにて
デンマークはコペンハーゲンの旧市街ニューハウン地区は歴史が古く、13世紀にはもう栄えていたそうです。船乗 りの荒くれ男たちが集い、酒や喧嘩、女や博打に明け暮れたとか。近年、あまりに荒んでしまったこの町を市当局や 住民たちが再開発、ノスタルジックな雰囲気を残しつつ、清潔で安全、おしゃれな地域に生まれ変わりました。 そんな運河沿いの通りで出会ったのが、古い英国車のMG。雰囲気によく溶け込んだ小粋なオープンカーでした。 僕が未だ教師だった頃、仲の良かった同期はMGミジェットに乗っていました。通勤に、デートに、街遊びに。彼は いつも青いオープンカーと一緒でした。六本木で遊んだ帰り、女性はナビシートで、僕はリア。「えっ、2シーター でしょ?」。そう、僕は荷物置きに身をかがめて乗っていました。 想い出に変わりつつあるちょっとほろ苦い記憶を呼び覚ましつつ、この写 真を探しました。

フェラーリだ!
ガイドブックの取材は、辛く厳しく、細かいものです。朝から深夜まで撮影機材を抱えて、街中を歩きます。友人 たちからは「タダで海外に行けて、しかもギャラまで貰って、うらやましい。」とよく言われますが、観光旅行じゃ ああるまいし、決して楽なものではありません。 この日も昼食をとる間もなく取材に回り、午後もだいぶ回った頃。ストックホルムのショッピング街で、ちょっと 古いフェラーリを見つけました。よく手入れされ、いつでもレースに出られるようにか、ゼッケン用の白丸もありま す。と、若いビジネスマンたちもこの車を見つけ、前から後ろから、下から、うらやましそうに見つめていました。 この国とて、やはりフェラーリは高嶺の花。しかもニュータイプではなく、古い車を大事に乗っているところに、オ ーナーの心意気を感じます。維持費は高いだろうに。 ブランド品を欲しがるガールフレンドに「なんで?」と聞いたら、「男の人だって高い車、欲しがるじゃない。ポ ルシェやフェラーリに比べたら、シャネルなんて安いものよ。」と返されました。う〜ん。言い得て妙で、返す言葉 がありませんでした。でも、いつかは乗りたいなあ。

サンディエゴで
初めてのアメリカは、西海岸のロサンジェルス。当時日本でアウディ80シュポルトという左ハンドルのマニュアル 車に乗っていた僕にとって、本場左ハンドルの右側通行は意外にてこずりました。フリーウエイは路面 が荒れて、地 元の人の運転も雑だし。そしてサンディエゴ。アメリカでも多くの人が憧れる、住環境の整った街です。魚介類のパ スタが美味しいレストランがある、と聞き取材に訪れました。その店を出たら、若い女性がにこやかに運転する黄色 い車が近づいてきました。生活の全てを楽しみ尽くしたい、そんなオーラが全体に溢れ、カメラを向けると笑顔で応 えてくれました。こんな車でも堂々と公道を走れる、そんな自由さが羨ましくなりました。

イスタンブールにて
東西の十字路と言われるトルコのイスタンブール。ドルムシュ(乗合タクシー)の運ちゃんが、俺の車に乗ってけ と、人懐っこく声をかけてきます。いいよ、バスで行くからと応えても、バスなんか時間がかかるぞ、返してきます 。年代物の車を、大事に扱う運ちゃん。客の減少はそのまま収入源につながります。本来なら同方向4人の客が集ま らないと発車しないドルムシュですが、外国人はいい客(カモ?)。運ちゃんも必死でした。普通 ドルムシュは黄色 の車体ですが、こんな色の車もありました。

フォルクスワーゲンのビートルには、特別の思い入れがあります。教職に就いて初めてのボーナスで買ったのが、 中古の銀色ビートルでした。以後、乗る車もかなり変わりましたが、結局またビートル、それもカブリオレを入手し ました。自分と同じくらいの車齢で、周囲からは変人扱い。それだけに、海外でもビートルを見かけると嬉しくなり ます。ポルトガルの古都コインブラで見かけたビートルは、初期の形をよく留め、フロントには生まれ故郷ドイツ・ ウォルフスブルク市の紋章もついていました。 また、パリのアラブ人街でも、トルコは聖ペトロの墓がある遺跡でも、地元民の足として活躍しているビートルを 見かけました。ミャンマーでは、ダブルバンパーの綺麗な車を見かけました。写真を撮ろうかと思うまもなく、軽快 に通り過ぎてしまいました。さすが、世界で一番売れた車です。